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ここはゴミ箱です
本日の一冊

J.P.ヴェルナン,吉田敦彦:プロメテウスとオイディプス;ギリシァ的人間観の構造,1978.2.24,[初版],東京,みすず書房

『はじめてのギリシア悲劇』が面白かったので,もう少しギリシア悲劇の本を読んでみようと思いまして,よくファンタジー小説などでも出てくることの多いプロメテウスがタイトルにあった本書を選びました.

取り上げられているのはアイスキュロスの「縛られたプロメテウス」.そしておそらくはその続編となる、「解放されたプロメテウス」の二作が主で,それらのプロメテウス像とヘシオドスの「神統記」「仕事と日々」とが比べられています.
当時の女性の地位の低さもあったでしょうが,ヴェルナン氏の解説によるところの女性の扱いは読んでいても腹立たしい(ギリギリ).でもプロメテウスが「前もって考える、先を見通す能力を持っている」ことと,その弟エピメテウスが「後から考える、つまり手遅れになってはじめて気が付く者」であり,すなわち人の知恵とは神の叡知には及ばないという解釈は面白いと思いました.所詮浅はかなりということなのか,人知が及ばないということなのか.
いずれにせよ,「ヒュッポリュトス」でも思いましたが,神々はとても理不尽.

そういう理不尽さの極致がソポクレスの「オイディプス王」ではないかと.そもそも事の発端というか,なぜオイディプスは自身の罪科なく,父殺しや母との結婚という呪いを受けなければならなかったのか.スフィンクスの謎を解き,知らず殺した父王の後を継いで王になりはしたけれど,驕りというほど驕っても,神を侮ってもいなかったと思うのに.

しかし劇中の彼の台詞が最初から”本人にとっては無自覚に”しかし”観客にとっては明示的に”二重の意味を持つというのは,この解説を読んでいて本当に驚きました.いや,実際は『はじめてのギリシア悲劇』にあったように,これらディオニュソスの祭典で演じられた悲劇は必ず皆が知っている神話を題材にするという前提があったのですから,”観客が知っている”ことを前提に劇も台詞も組み立てることができるんでしょうが,よく考えられているなぁと.

オイディプスは王から一転して穢れた盲目の罪人となり,自ら望んだこととはいえ,国から災いを払うために追い出されるというのは,つまり穢れを一人に集めて外に出すということ.それを考えると,彼が幼少時に殺された(実際は助かっているのですが)ことによって,彼は一旦死者となったのかもしれないなとも思います.そんな死者が再び親殺しの罪を負って戻ってきて,母と結婚して国に一時の繁栄と災いをもたらした.そして再び災いを払うために国を出るという.なんとなくマレビトという言葉を思い出しました.彼はこの国の生まれであるにも関わらず,この国の王であったにも関わらず,異邦人だったのではないかな,なんて.
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