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ここはゴミ箱です
本日の二冊

ヘルマン・ヘッセ作,西義之訳:ナルチスとゴルトムント—愛と死の遍歴—;上下,1977.3.10,第2刷,東京,岩波書店

ヘッセ初……かな,もしかして.何で手に取ったかと言うと,冒頭部分をチラ見したら修道院とか僧とか出てきてたから.……ほんとにそれだけというある意味で恐ろしい動機.

しかし読み進めれば修道院が出てくるのは初めと終わりだけ.つまりナルチスの出てくる部分だけなんですよね.でもグイグイ読まされましたよ,モエ抜きで.いや……モエもあったけど.

「知と愛」という邦訳の方がメジャーなんでしょうか? つまりナルチスが知でゴルトムントが愛.でも私が読んだ印象だと,確かにゴルトムントは”愛”に生きたというか……普通こういう言い方をする時って愛を貫いたという意味にとれるような気がしますが,ゴルトムントの場合は愛を求めたというのがしっくりくるように思います.表象しがたい母のイメージを取り戻した時からずっと,彼は女性に従順です.女性達の求める男として振る舞う.訳のせいもあるんでしょうけど,彼はその最後の旅から帰るまではずっと若々しく,女性にとって魅力的な……イメージとしては淫魔なんですけど,一人のものにはならない男,みたいな.だから最後に相応に老人っぽくなったのは,ナルチス達登場人物もびっくりしたろうけど,私もびっくりしました.

ゴルトムントが求めたのは母の愛(愛の母?)であり,女性との愛欲であり,ナルチスとの友愛であったわけですけど,目標としていた母の愛は結局形にはならず,女性達との愛欲は結局彼の糧にはなっても目標にはならず,ナルチスとの友愛だけが最初から最後まで貫き通されて形にもなり,唯一のものとしてゴルトムントの得られた愛だったのでしょうか.放浪して様々な人々と出会い,奔放に肉体的な快楽を得て,その快楽とあいまいな境界線しか置かずに死が側にあることを知る.メメント・モリ.……う〜ん,もっと若い頃に読んでいたらもっとショックを受けたかもしれないなと思う作品ですね.ゴルトムントの奔放さは思春期の女の子には許し難いものかもしれん(笑)

だからじゃないけど,ナルチスを想ってヨハネス像を少しずつ作りあげていく部分にはほっとしたというか,緊張したというか.ナルチスは知の人だけど努力の人で,ゴルトムントは天然の愛の人で天才肌.ゴルトムントが心の中にある”感情的な”すべてを映す母の像を作ることを一生かけてやるなら,ナルチスはその”知”で様々なことを見通しながら自分の役目と決めた枠の中で非凡さを発揮できるように努力しつつ一生を築き上げるのではないでしょうか.

お互い”あぁいう風にはなれない”と思うからこそ相手が輝いて見えるのかもしれないな.

……いや,難しいことはわからんが.なんかすごい作品だった.
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